2026.08.10

「AIヴィーガンという生き方」

執筆: 輪廻タヲ ・ AIを活用した音楽・イラスト・映像作品を制作するコンテンツクリエイター

"AIヴィーガンという生き方"

エンジニアではありません。活動家でもありません。

ただ、「生成AIを、あえて使わない」と決めた人たちがいます。

海外では、彼らを指す言葉が、すでに定着しつつあります。

AIヴィーガン。

肉や動物性食品を避けるヴィーガンと同じように、AIの利用を避ける生き方のことです。
Redditには、すでに7万人を超えるコミュニティができています(参考ポスト)。
日本では、まだほとんど知られていません。

AIヴィーガンとは、何なのか

・生成AIを、倫理的・環境的・個人的な理由から、意図的に使わない人たちのこと
・肉食を避けるヴィーガニズムの考え方を、AIとの関わり方に応用したもの
・「いつか自然に消える一時的な流行」ではなく、価値観に基づいた継続的な選択
(出典: Wikipedia「AI veganism」)

彼らの主張は、大きく3つに分かれます。

片手にはAIの光る球体、もう片手には芽吹いた植物。それぞれを静かに掲げる、対になった両手

①権利への懸念

自分の作品が、知らないうちにAIの学習に使われている。
この不安が、AIヴィーガンの出発点の一つです。

「生成AIが生み出すものには魂がない」
「自分の思考がAIに寄生されていくようで嫌だった」
(若いクリエイターたちの言葉より)

2023年、アメリカの脚本家・俳優によるストライキでも、「同意なき利用と、補償なき利用」が大きな争点になりました(The Conversation)。
ゲームアートのコンペティションでAI作品が入選し、若手クリエイターが「努力が軽視された」と感じたエピソードも報告されています(出典)。

②環境への懸念

AIの運用には、大量の電力と水が必要です。
複数回のプロンプトのやり取りで、500ミリリットル前後の水が消費されるという推計もあります(出典)。

ケンブリッジ大学のある学生は、AIシステムの「冷却用の水使用量」を理由に、AIを避けるようになったと語っています(The Conversation)。

効率化が進んでも、利用量そのものが増え続ければ、全体の消費量は減らない。
この「リバウンド効果」への警戒も、彼らの根拠の一つです。

③思考力への懸念

MIT Media Labの研究では、生成AIを使って文章を書いた場合、記憶への定着や、脳のネットワーク結合が弱まる傾向が報告されています(出典)。
「批判的思考力が落ちた」「怠惰になった」という学生の声も、複数の記事で紹介されています。

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「そのうち成熟する」は、反論になるか

こうした懸念に対して、よく返される言葉があります。

「AIはまだ発展途上。そのうち課題は解決される。」

一見、正しく聞こえます。
でも、これも一つの仮説にすぎません。
AIヴィーガンの懸念(権利・環境・思考力)が仮説段階だとすれば、「いずれ成熟する」という楽観も、同じく仮説段階です。
両者は、同じ土俵に立っています。

しかも、「成熟を待つ」間に生まれる被害は、後から取り消せるとは限りません。
教育や創作のように、一度失われたら取り戻せない領域では、なおさらです。

「使いながら批判」より、「使わず批判」の方が効く、という見方

もう一つ、興味深い論点があります。
AIの是非を論じるとき、「使いながら改善を求める」方が、「使わずに批判する」より建設的だ、と言われることがあります。

でも、企業の立場から見ると、話は変わります。
批判しながらも使い続けてくれる人は、正直、痛くも痒くもありません。
売上もデータも入り続けるからです。
一方、使うのをやめる人は、実際に売上とデータを減らします。

声だけでなく、行動が伴って初めて、圧力になる。
AIヴィーガンの「使わない」という選択は、対話から降りているのではなく、対話をより強く迫るための手段、という見方もできます。

それでも、線を引くべき場所はある

ここまで、AIヴィーガンの言い分を、できるだけ正確に紹介してきました。
ただし、一つだけ、例外があります。

国家の存亡や、大勢の命がかかっているような、極端な状況です。
そこでは、「AIを使うかどうか」の重みが、日常の創作や消費とはまったく違います。
自己防衛のためにAIを使うことを否定する主義は、現実には成立しにくいでしょう。

ただ、これは特殊な例外であって、日常的にAIを使うかどうかという、多くの人にとっての本題を動かすものではありません。

輪廻タヲとして

私自身は、AIを使って音楽やイラストを作っています。
だから、AIヴィーガンと同じ選択はしていません。

でも、今回いろいろな角度から向き合ってみて、彼らの主張にも、それに反論する側の主張にも、それぞれ根拠があることは分かりました。
根拠のある懸念に、根拠のある反論をぶつけて、初めてフェアな議論になります。

これから、日本でもこの言葉を目にする機会が増えるかもしれません。
その時は、レッテルで判断せず、彼らが何を根拠に、その生き方を選んでいるのか、一度立ち止まって聞いてみてほしいと思います。

その上でどう考えるかは、あなた自身が決めることです。

輪廻タヲ

輪廻タヲ / Rinne Tao

AIを制作に活用するコンテンツクリエイター。音楽、イラスト、映像作品を中心に発信しています。

最新作品やAIに関する考察はXで発信しています。

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